慰安婦像問題について 国内外のできごと2 | Cheers インタビュー

慰安婦像問題について 国内外のできごと2 | Cheers インタビュー

Cheers インタビュー

 

 

 


 

河野内閣官房長官談話
検証報告書を紐解く



今年2月に行われた衆議院予算委員会において、石原元官房副長官より河野内閣官房長官談話(以下:河野談話)について、①河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について裏付け調査は行っていない。②河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある。③河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が活かされておらず、非常に残念である旨の証言があった。これを受け菅官房長官は、河野談話の作成過程について実態を把握し、それを然るべき形で明らかにすべきと答弁。これらを背景に慰安婦問題に関して、元検事総長や、元アジア女性基金理事、大学院教授、現代史家など有識者チーム募り、実態の把握を行い、6月20日に検証結果を国会に報告した。今月はその検証報告書の言葉を引用しながら、内容を紹介したい。

 

 

河野談話作成までの流れ

 

韓国で元慰安婦が最初に名乗り出したのが1991年。同年に韓国の元慰安婦3名が東京地裁に提訴した。当時の宮澤総理の訪韓が予定される中、韓国における慰安婦問題への関心や批判の高まりが懸念され、外交的な対応に迫られた。韓国側は「慰安婦問題が宮澤総理訪韓時に懸案化しないよう、事前に何らかの措置を講じることが望ましい」との考えを訴えた。また、日本側が官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であると言及。日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し、両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいと求めた。これを受けて日本側でも「できれば総理より、日本軍の関与を事実上是認し、反省と遺憾の意の表明を行って頂く方が適当」、「慰安婦のための慰霊碑建立といった象徴的な措置をとる」などが選択肢に挙がった。それと平行して、日本側は関係する可能性のある省庁にて調査を開始すると、1992年1月7日には防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見される。これを朝日新聞が報道したことを契機に、韓国国内における対日批判が過熱。そして加藤官房長官は、「今の段階でどの程度の関与ということを申し上げる段階ではありませんが、軍の関与は否定できない」、「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」と記者会見で述べた。

1992年1月の宮澤総理訪韓時の首脳会談で盧泰愚大統領は「加藤官房長官が旧日本軍の関与を認め、謝罪と反省の意を表明いただいたことを評価する。今後真相究明の努力と、日本のしかるべき措置を期待する」と発言。宮澤総理からは「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が関与していた動かしがたい事実を知るに至った。日本政府としては公にこれを認め、心から謝罪する立場を決定」、「従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し衷心よりお詫びと反省の気持ちを表明したい」「今後とも引き続き資料発掘、事実究明を誠心誠意行っていきたい」と述べた。

加藤官房長官発表以降、日本側は真相究明及び、後続措置について何らかの表明を行うことを企図し、韓国側との間で緊密に議論を行った。韓国側からは「日本側による発表は、韓国側との協議を経て行われるようなものではなく、あくまでも日本側が自主的に行ったものとして扱われるべきもの」としつつ、「発表内容は韓国側をも納得させ得る内容に極力近いことが望ましい」と述べ、日本側も発表に対して、韓国政府からネガティブな反応は避けたいとして、「強制性」等の認識については、一言一句というわけにはいかないものの、韓国側とやりとりをしたい旨を述べている。
同年7月28日には武藤外務大臣より、「発表の文言については内々韓国政府に事前にご相談したい」「この問題については外交的に区切りを付けたい。金泳三大統領は、日本側の発表が誠心誠意のものならば、自分から国民に説明する考えであり、そうすれば韓国国民にも理解してもらえると考えている旨を述べていた。この点を踏まえ、大統領に日本側の考えを伝えて欲しい」と述べた。これに対し、韓国外務部長官からは「本件に対する日本の努力と誠意を評価したい。日本側の調査の結果が金泳三大統領より韓国国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にいくことを韓国も期待し待ち望んでいる」と述べた。

日本側では引き続き関係省庁において関連文書の調査を行い、新たに米国国立公文書館等での文献調査を行った。これらによって得られた情報を基本として、軍関係者や慰安所経営者など各方面への聞き取り調査や、挺対協の証言集の分析に着手し、政府調査報告はほぼまとまった。総合的に得られた認識は、いわゆる「強制連行」は確認できないというものであった。当時の石原官房副長官は、『慰安婦全体について「強制性」があったとは、絶対に言えない』と述べ、歴史的事実を曲げた結論を出すことはできない旨をはっきりと伝えている。

その後、日本政府が行った関連文書の調査結果等を踏まえて制作された談話の原案をもとに、談話の文言を巡る日韓間の調整が開始された。調整は、談話発表の前日となる8月3日までの間、外務省と在日本韓国大使館、在韓国日本大使館と韓国外務部との間で集中的に実施された。そのさいに韓国側は、「発表内容は日本政府が自主的に決めるものであり、交渉の対象にはしない」としつつ、「本問題を解決させるためには、韓国国民から評価を受け得るものでなければならない。その観点から、具体的発表文を一部修正されることを希望する。そうした点が解決されずに日本政府が発表を行えば、韓国政府としてはポジティブに評価できない」との旨を述べた。
これを受けて日本側は、日韓間でこのような事前のやりとりを行ったことについては、マスコミに一切出さないようにすべきであろうと述べ、韓国側はこれに了解するとともに、発表の直前に日本側からFAXで発表文を受け取ったと言うしかないであろう旨を述べた。8月4日の談話発表に向けて日本側事務方が用意した応答要領には、韓国側と「事前協議は行っておらず、今回の調査結果はその直前に伝達した。」との応答ラインが記載された。韓国側は文言の調整期間中、複数回に渡り変更を要求した。これに対し日本側は、内閣外政審議室と外務省との間で綿密に情報共有・協議し、それまでに行った調査を踏まえた事実関係を歪めることのない範囲で、韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で、談話の文言について韓国政府側と調整した。

韓国側との調整のさいに主な論点となったのは、①慰安所の設置に関する軍の関与、②慰安婦募集のさいの軍の関与、③慰安婦募集に際しての「強制性」の3点であった。慰安所の設置に関する軍の関与について、日本側が提示した軍当局の「意向」という表現に対して、韓国側は、「指示」との表現を求めたが、日本側は、慰安所の設置について軍の「指示」は確認できないとして受け入れず、「要望」との表現を提案した。また、慰安婦募集に関しても、韓国側は「軍または軍の指示を受けた業者がこれに当たった」との文言を提案し、募集を「軍」が行ったこと、及び業者に対しても軍の「指示」があったとの表現を求めたが、日本側は、募集は軍ではなく、軍の意向を受けた業者が主として行ったことなので、「軍」を募集の主体とすることは受け入れられない。また、業者に対する軍の「指示」は確認できないとして、軍の「要望」を受けた業者、との表現を提案した。これらに対し韓国側は、慰安所の設置に関する軍の関与、及び、慰安婦の募集の際の軍の関与の双方について、改めて軍の「指図(さしず)」という表現を求めてきたが、日本側は受け入れず、最終的には設置については、軍当局の「要請」により設営された、募集については軍の「要請」を受けた業者がこれに当たったとの表現で決着がついた。
なお「お詫びと反省」について、日本側は「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた方々ひとり一人に対し、心からお詫び申し上げる」との原案を提示し、韓国側は「お詫び」の文言に「反省の気持ち」を追加することを要望し、日本側はこれを受け入れた。

慰安婦募集にさいしての「強制性」について、どのような表現で織り込むかが韓国側とのやりとりの核心であった。8月2日の段階でも、韓国側はいくつかの主要なポイントを除き、日本側が韓国側の期待に応えるべく相当な歩み寄りがあった。具体的には、日本側原案の「(業者の)甘言、強圧による等本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」との表現について、韓国側は「事例が数多くあり」の部分の削除を求めるも、日本側はすべてが意思に反していた事例であると認定できないとして拒否した。また、朝鮮半島における慰安婦の募集にさいして「強制性」にかかる表現について、最後まで調整が実施された。「当時の朝鮮半島は我が国の統治下」であったことを踏まえ、慰安婦の「募集」「移送、管理等」の段階を通じてみた場合、いかなる経緯であったにせよ、全体として個人の意思に反して行われたことが多かったとして「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」という文言で最終的に調整された。8月3日夜、金泳三大統領は日本側の最終原案を評価し、韓国政府からは同案文で結構であるとの連絡があり、河野談話の文言について最終的に意見が一致した。

そして1993年8月4日、日本側では、河野官房長官により、これまで行われてきた調査をまとめた結果を発表するとともに河野談話を発表した。

発表後の会見で、今回の調査結果について、日本軍による強制連行の事実があったのかと問われた河野官房長官は、「そういう事実があったと。結構です」と述べている。また「強制」という言葉が慰安婦の募集の文脈ではなく、慰安所の生活の記述で使われている点については、「『甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた』というふうに書いてあるんです。意思に反して集められたというのはどういう意味か。お分かりだと思います」と述べた。さらに、公文書で強制連行を裏付ける記述は見つからなかったのかと問われ、「強制ということの中には、物理的な強制もあるし、精神的な強制というのもある。精神的な強制という点では、官憲側の記録に残るというものではない部分が多い」「そういうものがあったかなかったかということも十分調査をし、元従軍慰安婦から聞いた話や証言集にある証言、元慰安所経営者等側の話も聞いたとした上で、いずれにしても、ここに書きましたように、ご本人の意思に反して連れられたという事例が数多くある」「集められた後の生活についても、本人の意思が認められない状況があったということも調査の中ではっきりしております」と述べた。

河野談話発表後、韓国外務部は「日本政府が発表を通じ、軍隊慰安婦の募集、移送、管理等において全体的な強制性を認定し、また軍隊慰安婦被害者に対する謝罪と反省の意とともに、これを歴史の教訓として直視していくなどの決意を表明した点」を評価したい旨の論評を発表した。

最後に…官憲とは、警察官の意。日韓併合時代における朝鮮半島の警察官は、そのほとんどが朝鮮民族だったという。また「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与」とあるが、旧日本軍が関与したのは慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送で、朝鮮半島の女性を強制連行したとは述べていない。民間業者が行う慰安所運営の設置や衛生状態の管理、慰安婦の移送時に、違法行為がないかなどを取り締まった、という解釈ができる。韓国側との擦り合わせは、忍耐強い対応のお陰で比較的成功したが、発表後の河野官房長官の発言にはやはり疑問が残る。今回は河野談話検証報告書の一部のみを紹介したが、ぜひインターネットなどで全文を確認してみてほしい。今月号は当初、「慰安婦像設置の次の候補地メルボルンにてJCNが行った勉強会」や、「反日団体が各政府大臣、州政府大臣などに提出したオープンレターの内容」、「韓国政府に対する米軍慰安婦122名の訴訟」などを予定していたが、スペースの関係により、次回にて紹介したい。 (文:大庭祐介)

 

河野官房長官談話

 

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

今次調査の結果、長期にかつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 



 

 


ページトップへ