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2000年代、ストリートダンスを武器に社会現象と呼べるほどの熱を生み出した張本人、"ひとりでできるもん"。クラブミュージックの流れるフロアを笑いでいっぱいにしてしまう奇異な習性。それは感情を表さないこの覆面ダンサーの溢れる個性だ。その摩訶不思議なキャラクターはどのようにして生まれ得たのか? 無機質な仮面の奥には何よりも人の笑顔を欲する、生身の人間の表情があった。 |
僕は英語がまったく喋れないのでオーストラリアの人たちとはあまり話していないのですが、傍から見ていてすごいパワフルだなという気がしますね。街を歩いていても日本では考えられないようなことが起きていたりしますし。英語が喋れたらもっと楽しいんだろうなぁと感じます。
単純に日本語が通じないのが大変ですね。僕の場合、普通に踊るっていうよりはネタで楽しませるタイプなので、例えばアントニオ猪木の「なんだ、このやろう!」みたいなセリフが全然通じなかったり、あとは〝リングの貞子〟自体を知らなかったり、そうなってくるとかなりきついですね(苦笑)。
そうそう、まさにポカーン状態です(笑)。2009年にロシアのモスクワでイベントをやったときは、できるだけ日本語を使わなくてもよい内容にしてステージを行いました。
海外仕様というか、単にネタのない変なマスクを被った人がクネクネしてるだけというか(苦笑)。
芸人とダンサーが組んだ〝ダンサブルコント〟というものをやっています。〝ダンスを使って笑わそう〟というコンセプトで、吉本芸人のチーモンチョーチュウやデッカチャンと一緒にステージを行っています。普段コントをやる機会はないのでとても勉強になります。
そこは完全にパクリました(笑)。2002年に僕の所属していた3人組のダンスチームがなくなってしまい、それと同時に僕もダンスをやめようと思ったんですけど、あるオーガナイザーが僕に「(イベントに)ひとりで出なよ」と言ってきたんです。一度は断ったんですけど、「ダンスをやめてもいいから、最後に俺のイベントでひとりで踊ってくれ」と説得され、押しに負けて、じゃあ最後に一度だけひとりでやろうということになったんです。その後、フライヤーに載せる名前はどうする?ってなったときに、本名は恥ずかしいから、「『ひとりでできるもん』でいいよ」ってその場の思いつきで何となく答えて。そしたらひとりでやったショーに予想以上の反響があって、ダンスもやめられなくなったんです。
ステージが終わってから5人くらいのオーガナイザーが僕のところに来て、「よかったよ」「うちにも出てよ」と言ってくれたんですよ。やめるつもりだったけど、それがすごく嬉しくて、とりあえず呼ばれるところにポンポン出演しているうちにひとりでやるステージが楽しくて癖になっていったというわけです。
中学3年のころにある友達が「ヒップホップやろうよ!」って言い出して、〝ヒップホップってなんだ?〟って調べてみたら、ラップ、DJ、グラフィティ・アート、そしてダンスという4つの要素からできていることがわかったんです。それでひとり一人に担当を振り分けていったら、たまたま僕がダンス担当ということになって。それが始まりですね。
いや、もう全然。たまたま分担がそうなっただけのことです。それから週1回のレッスンに通うようになって、その後ストリートダンスとの出会いなどがあってのめり込んでいきました。
もともと人を喜ばせるのが好きで、人を笑顔にするのが好きなんです。指摘されたように本当にシャイで人見知りでもう全然だめなんですけど、仮面をつけてパフォーマンスをするようになってからスイッチが入るようになったんです。自分がテレビに出演してパフォーマンスしているのを見たときに「誰だ、この人?」って思うくらい違う人格の自分がそこにいたんですよね。〝仮面のスイッチ〟のおかげですね。
〝勇気〟ですね。僕は性格的に落ち込むことも多くて、これまで何度ダンスをやめようと思ったかわからないんですけど、そんなときにブログとかに書き込みをするとファンの方が励ましてくれて。それによって「こんなに好きでいてくれるんなら、僕と知り合いだってことを周囲に自慢できるくらい僕が大きくならないといけない」という風に感じて、また前向きに頑張れるんです。
僕より先にチャンプルからオファーをもらっていたダンサーと都内のイベントで共演したときにテレビクルーが撮影に来ていて、その人たちが「君、面白いね。テレビに出てみない?」と声をかけてくれたんですよ。それでもう「出ます! 出ます!」と即答させてもらいました。
はい。サラリーマンを辞めて、ダンス一本で生活するようになったりと状況は大きく変わりました。
インターネット契約会社の切り替えをお勧めする電話営業です。チャンプルに出演することになって辞めるまで1年くらい務めていました。
僕の場合は成り行きでテレビに出るようになったんですけど、番組を観た視聴者から「感動した」とか「ダンスがこんなに楽しいものだと思わなかった」といった声が届くようになって、軽い気持ちでやっていたのが申し訳なく感じるようになったんです。ダンサーでは食べられるわけがないと考えてサラリーマンをやっていたんですが、そういった応援してくれる方の声を聞くようになって、こんな僕でも必要としてくれるのならそこに行って踊ろうと、そして人気がなくなって呼ばれなくなったらまたサラリーマンに戻ろうと決めました。それが今でも続いているという状況です。
すごくあったと思います。昔は高校生だったり、〝不良の遊び〟というイメージだったのが、あの番組によってキッズの間でダンスが盛んになりました。大人よりも子供のほうが夢中になるほどダンスを浸透させたという意味では、社会現象だったと思います。
色んな方に会う機会が多いですし、また、様々な経験をさせてもらえているのは自分にとって大きいと思います。それによって考え方が変わることもあります。今回のように海外でショーをさせて頂けるのもそうですし、貴重な体験を積むことで色々と勉強させてもらっています。
夢とかではないんですけど、ただひたすらもうやれるだけやり続けて、どうなるかっていう部分を大事にしています。やれるところまでやろうっていう気持ちでいます。
不安定な身という意味では僕も同じです。保障とかがあるわけじゃないですし。僕の場合はやりたいことをやっていて運良く拾われたわけですけど、同じことを継続してやっているとそれなりにチャンスも回ってきたり、それがまた大きな夢に繋がったりということもあると思うので、まず何かひとつ続けてみることが大事じゃないかなと思います。辛いときにこらえるっていう部分では、やはり〝仲間〟が一番大切なんじゃないでしょうか。仲間に自分の気持ちを話すこと、そして励まされたりしながら頑張っていってほしいと思います。
ひとりでできるもん
1983年9月生まれ、沖縄県出身。3人組ダンスユニット、ソロでの活動を経て、2004年に日本テレビ系のストリートダンス番組「少年チャンプル」でテレビデビュー。同番組で13週連続1位となり、全国区の知名度を誇るダンサーとなる。現在、イベントや映像作品でのダンサー、ダンス講師、振付師、舞台など、多分野で活躍している。公式ブログ:http://ameblo.jp/ryoheing http://ameblo.jp/ryoheing
CHEERS 2010年08月号掲載