うるせいオヤジの独り言:教育ということ(前)

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  教育ということ(前)23/02/10 閲覧数 1152
友人が毎年1月にDVDを2枚送ってきてくれる。お年玉代わりなのかもしれないが、例の紅白歌合戦ともうひとつは何か話題の映画である。今年の映画の題名は『あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった』というものである。この題名を見て、なにやらイヤーな感じがした。多分、今どきの、会話が稚拙で情けなく、中味のない、程度の低い映画ではないかと言う印象を受けたからだ。副題が書かれていたのだが、文字が小さかったので読まなかった。それは「―カウラ捕虜収容所からの大脱走―」であったが、後で読んでわかったことなのである(題名も副題も良くないね)。

映画はいきなり山崎勉のアップから始まった。助手席に座る山崎勉は老いさらばえた姿である。オーストラリアの広大な大地の中を孫娘が運転するオープンカーで走ってゆく。道路標識の、「Cowra」という文字がちらと写りうしろに飛んでゆく。カウラといえば、「ははあ」とすぐうなずけるはずだ。戦時中、そこに「カウラ第十二戦争捕虜収容所」があり、収容されていた日本兵が大量脱走を試みた事件で有名である。であるから、冒頭の数分でこの映画がどのようなものであるのかおおよその見当はついた(あとで少し外れるのだが)。

あらすじは、主人公の朝倉憲一兵長(小泉孝太郎)が、上官である嘉納二郎伍長(大泉 洋)とともにニューギニア(またはニューブリテン島?)で戦闘のあと食料もなく何日間も放浪した挙句に捕虜となり、取調べの後、カウラの捕虜収容所へ送られる。そこは日本兵が想像もつかない別天地であった。食糧は豊かにあり、衣類も支給され、住む場所(映画のなかでもハットと呼んでいた)があり、タバコの支給もあり、野球、相撲、麻雀を楽しめる自由まであった。ただ所内から出られない行動の規制があるだけである。それはジュネーブ条約による戦争捕虜の扱いであって何ら特別なことではなかった。しかし、捕虜となった日本兵たちにとっては大いなるカルチャーショックであったろう。日本の軍隊では「捕虜になるくらいなら死ね」という教育がなされていたからだ(その「戦陣訓」と言われるところの文章をここに書き付けるのは腹立たしいのであえて記さない。皆知っているはずだ)。そして徴兵寸前に結婚した嘉納伍長は肌身離さず新妻の写真を持っていて、それを朝倉兵長に見せ「生きて帰るのを約束したのだ」と言いのけるのである。

ここまでの一連の流れを見ていて腹立たしく思ったのは、日本兵が本名と階級、所属部隊等を隠蔽しようとしたその背景が何であったのかをあまり説明していないことである。もちろんその理由は容易に説明できる。まず第1に、軍隊教育がある。軍事教育、特に教練というのは何度も何度も繰り返し行い、寝てもさめてもそれで頭が一杯になり、号令ひとつで自然に体が動いてしまうようになるまで行われる。良い軍隊と言うものはそこまで訓練漬けにしないとできないのである。さもないと上官の「突撃!」という一声で、何も考えず、自然に体が動いて突撃してしまうということにはならないのである。だから、何か頭で考えてから、ということは一切禁じないといけない運動でもある。しかしながら近代国家の軍隊であるならば、もしも捕虜になった場合にはこのようにせよ、あるいはこれはするなという規範があってしかるべきであった。昭和の日本の軍隊(特に陸軍であろう)は何か合理的で冷静な判断に欠けていた部分があったように思える。例えばジュネーブ条約(1929年に締結された、俘虜の待遇に関する条約であり、いわゆるジュネーブ四条約のうちのひとつ)であるが、日本は署名は行ったが軍部、枢密院の反対によって批准しなかったのである。米英は日本政府に対し条約の批准を求めたが「これは相互に行われるように見えるが、一方的に日本にばかり押し付けるものだ」という理由で拒否した。そんな軍部が、自国の兵たちにジュネーブ条約の存在と不慮の事態の対処を教育するは言葉の暴力がまかり通る国でもある。日露戦争前夜、ロシア駐在武官が詳しい戦力報告をしてきたところ、幕僚は「アイツは恐ロ(シア)病である」として報告を全く握りつぶしてしまった、ということがあった。また太平洋戦争時、日本の国会で陸軍の参謀が「敵(アメリカ軍)の戦力は?」と質問され、「敵は知能遅れ、怯惰であるから敵三に対し吾が方は一で充分である」と根拠も何もない答弁を行うようなところなのである(双方とも司馬遼太郎の作品から無断で傍引)。

そして第2に、非国民という烙印である。太平洋戦争において日本人捕虜第一号となったのは真珠湾攻撃における酒巻和男海軍少尉である。彼は特殊潜航艇の艇長として出撃したが、機器の故障やアメリカ側からの攻撃などで座礁してしまった。そこで自爆を試み、海に飛び込んだが、意識を失った状態で米兵に捕らえられた。日本側はボイス・オブ・アメリカの報道から日本人捕虜の存在を知り、同時に出撃した10名の写真から彼だけを削除し「九軍神」として発表した。そして酒巻の家族は周りの人々から「非国民」と非難されたのである。それ以降捕虜になった者たちは親族が「非国民」と呼ばれるのを恐れ、偽名を申告し、ジュネーブ条約に基づいて家族に手紙を出せるところを、控えることが多かった。その結果、彼らは「未帰還」または「作戦行動中行方不明」扱いとなったのである。(この項続く)