或る阿保の日記-いや、かなり最高-:進化する社会=退化する人間

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或る阿保の日記-いや、かなり最高-
えんどろふぃん
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知らない町へ行き、知らない人に会うこと
CANNON
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写真:Lovely Horny Bastard Hikaruza Yjungと。旅先にて。
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 或る阿保の日記-いや、かなり最高-
  暮らす・情報
  
  進化する社会=退化する人間23/01/10 閲覧数 868

ある日、Cityに住む友達がわざわざ郊外に住む俺を車で送ってくれることになった。


彼は俺の道案内を一切聞かない。Car Navigationがあるからだと。
家の住所を登録。


するとCar NavigationはBest Wayを提示し、車の移動ごとにきちんと「信号2つ目を左へ曲がる。」などと音声で道案内をする。


あまりにもCar Naviを完信して俺の言うことを友達は全く聞かないものだから適当に「ここ左だよ。」


ウッピョーン!」と適当に言ってみて困らせたことが合った。





うん、社会は進化したな。





ある別の友達いわく、Car Navigationが出来た事で人は地図を覚えなくなると。
そう言われれば、携帯電話が出来たことで人間、電話番号を覚えなくなったなと。。。


昔、若い頃、まだ携帯電話が無かった頃は、友達や何らかのの電話番号を覚えてることがある意味、自慢でもあり、記憶力が良い友達への憧れだった。



でもね、後にポケットベル、携帯電話が普及したことで電話番号を覚える必要が無くなった。ま、それ以上に覚えなければいけないことばあると言えばそれまでだが、



社会が便利になり、生活が快適化していくのと同時に人間は
退化してるのではないかと思索する今日この頃。。。



一時期、ワープロ・パソコンの普及で”人は漢字を覚えなくなる”と言われたが、
漢字検定などを導入し切磋琢磨する日本人はさすがなと思う。



ある友達に言われた。
「なぜCar Navigationができたか知ってるか?」
うん、戦争兵器でしょ?



対核戦争用に瞬時に情報交換できる為にできたInternetと同じようにCar Navigationも対ミサイル監視に衛星使用が民間に降りてきた賜物。


戦争兵器には最新科学
が常に集結する。




が、友達の回答は意外なものだった。



「ま、あれだ、元のアイデアは超能力者たちの能力を研究してそれを具現化、普遍化してみんなが使えるようにしたのがオリジナルのアイディア。



ふ~ん、なるほど。。。?



確かにテレパシー能力のある人たちは最初からいた。
でも、その能力が無い人たちでも一般的に交信会話ができるように電話ができた。

今は携帯電話になって実際に携帯電話保持者は現代科学によってテレパシー能力があるのと同列に近いものになった。


一見、便利にも見えるが、なんだかそうなると人間の能力の何かが欠けて行く気がするのは気のせいだろう。。。か?



自分が幼い頃、今から思うと変な力があった

(=天然カーナビゲーション?
行きたいところへ迷子にならずにどこでも行けた。
知らない街でも迷うことなく歩いてた。
確実に目的地に着く確信があった。そして辿りつけた。

遠くへ引っ越した隣の家の友達に会うために、一人で新幹線に乗ることに決めた。新幹線に乗るためにバスで駅に向かうことにした。

バスに乗るためにバスの入り口の子供にとって大きな段差を昇って乗り込んだのを覚えている。
バスの運転手に聞かれた。「お母さんは?」
「いえでねてる」と答えることができただろうか。
家の方向を指差したのかもしれない。後から聞くとオタフクで母は寝ていたらしい。


「どこへ行くの?」運転手は続けて聞く。
「しんちゃんのいえ。」当時、友達はしんちゃんしかいなかったと思う。

そして、知らないおばちゃんに「一緒にしんちゃんちへ行きましょうね。」と言われて手をつながれ、近くの彼女のオフィスへ連れて行かれた。

結局、しんちゃんの家には連れて行ってもらえなかったが、その後母が迎えに来て夕日の下で一緒に帰った覚えがある。
おばちゃんが帽子の名前から家に電話したらしい。

もし、止められなかったら当時2歳半の俺は確実に友達の家についた自信はあった。後から聞くと彼は仙台に引っ越したそうだ。当時の俺は富士山が見えるところに住んでいた。)

逆に一般の力(読み書き計算、言語能力)は無かったが。

まだあの頃は言葉があまり喋れなかった
同時に会、この世の中というのを学び始めていた。


一般に言われるのが幼い子供は不思議な力を持っている
そのようなものだったのか。
社会を知らない、まだ言葉を喋れない自分は、誰もが持っているごく普通の人間のできる能力だと捉えていた。

その力は日本語を知り、使うようになると歳とともに消えていった
小学校1年くらいまで微かにあっただろうか。(=クラスメイトの住むエリアをクラスメイトから感じる色で判断していた。)
もしくは日本語を話すことでその力はもう必要なくなっていったのか。


ある意味、言葉という道具を使うことでその力は消えていった。

つまり、社会が発展し、便利になっていくと同時に人間の潜在能力は衰えていくのだろうか。

それを実地で具現化しているのがヨーロピアン・アフリカン
で衰えないよう日々切磋琢磨しているのは日本人の気がする。。。?


思索はつづく。。。








































































































































 

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